対馬は、九州と韓国の間にある面積約696km2の島で、長崎県になります。対馬-福岡間の距離は航路で約132km、対馬-韓国間の距離は約49.5kmであるため、実は対馬は福岡よりも韓国の方が近い「国境の島」です。
古くは、大陸との交易や戦いの要所として長く機能し、明治の頃にはロシアやイギリスという列強の脅威から日本を守るべく、対馬を国境最前線の要塞として1887年(明治20年)から工事が行われました。
また、日露戦争における日本の勝利を決定的なものとしたことで知られる日本海海戦は、海外では”Battle of Tsushima”(対馬の戦い)の名称で知られています。
対馬は、国境の島という日本において最重要拠点の1つであることは、間違いありません。
しかし、その存在を知らない日本人が沢山いることも事実ですので、これを機会に皆さんに知っていただけたらと思います。

対馬は、その位置から大陸との交易・戦いにおいて重要な拠点として、特殊な歴史を歩んできました。魏志倭人伝にも対馬の記述があり、邪馬台国に服属した30余国の1つであったことが分かります。
古墳時代は、ヤマト王権が度々朝鮮半島に出兵した時代でもあり、その状況は、『日本書紀』において、対馬北端の和珥津(わにのつ、現在の上対馬町鰐浦)から出航した神功皇后率いる大軍が新羅を攻め、服属させたうえ、屯倉を設置したという記述からも、対馬が重要な拠点であったことが伺えます。
対馬の歴史については、語るべきことが沢山ありますので、少しずつ記事を追加していきますので、是非ご一読いただけたらと思います。

対馬の歴史として、旧石器時代に大陸から対馬の陸橋を通過した足跡は発見されていない。
対馬で発見されている最古の遺跡は、新石器時代に属する縄文文化からです。この時代は、既に大陸との陸橋が切れ、対馬が島として孤立していました。
縄文時代の峰町佐賀貝塚や上県町志多留(したる)貝塚からは外洋性の魚の骨が出土し、峰町では多くの貝輪(腕に付ける装飾品)の材料が、沖縄の貝(イモガイ、ゴウボラ他)と北海道産の貝(ユキノカサ他)を使っていることが確認されている。また、石器の材料は、佐賀県伊万里市腰岳産の黒曜石である。さらに、峰町吉田貝塚からは縄文時代晩期の夜臼式土器、弥生時代前期の板付I式土器などが出土し、九州地方北部と同じ文化圏に属していたことが判明しています。
これらの石器・貝輪、土器は、峰町歴史民俗資料館や豊玉町郷土館等で収蔵・展示されています。旧峰町には、縄文時代から近世に至るまでの重要な遺跡が点在しており、考古・民俗資料を中心に「山辺(やんべ)遺跡」、「佐賀(さか)貝塚」等から出土した遺物を展示している。特に「鹿笛」は考古資料としては全国に2例しかなく、狩猟文化を研究する上で重要な資料で、貝輪等の貴重な遺物が展示されている。

浅海北側の豊玉町では、縄文時代や弥生時代の遺跡が対馬で最も密に集中している。当館では縄文時代から古墳時代の遺跡から出土した考古資料を中心に展示しており、昭和41年から42年に町内佐保 から当時国内では出土例がない朝鮮系の青銅器をはじめ、広型銅矛、勾玉など展示している。また、正徳小判や捕鯨関連資料も展示されている。
こちらも入館は、無料です。
北部九州ではこの頃から水稲耕作が始まり、平野が開発されてゆくが、対馬では河川や低平な沖積地に恵まれず、水田を拡大できなかったことから、弥生時代に入っても狩猟や採集・漁労などの生業が依然として大きな比重を占めたものと推定され、イネの収穫具であった石包丁はあまり出土していない。ただし、大陸系磨製石器や青銅器・鉄器などの金属器などは出土している。弥生時代前期の舶載品の有柄式石剣が多く見られる一方、北九州で製作された中広銅矛・広形銅矛も多く出土している。

『古事記』では最初に生まれた島々(「大八島国」)の1つとして「津島」と記されている。『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場する。古事記より国産みされた順番は。
- 淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま、アハヂノホノサワケシマ) – 淡路島。
2.伊予之二名島(いよのふたなのしま) – 四国。胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。愛比売(えひめ) – 伊予国。飯依比古(いいよりひこ、イヒヨリヒコ) – 讃岐国。大宜都比売(おおげつひめ、オホゲツヒメ) – 阿波国(後に食物神としても登場する)。建依別(たけよりわけ) – 土佐国。
3.隠伎之三子島(おきのみつごのしま) – 隠岐島。別名は天之忍許呂別(あめのおしころわけ)
4.筑紫島(つくしのしま) – 九州。胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は、白日別(しらひわけ) – 筑紫国。豊日別(とよひわけ) – 豊国。建日向日豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ、タケヒムカヒトヨクジヒネワケ) – 肥国。建日別(たけひわけ) – 熊曽国。
5.伊伎島(いきのしま) – 壱岐島。別名は天比登都柱(あめのひとつばしら)
6.津島(つしま) – 対馬。別名は天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)
7.佐度島(さどのしま) – 佐渡島。8.大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま、オホヤマトトヨアキツシマ) – 本州。別名は天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)
以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに、オホヤシマノクニ)という。
対馬は、大陸との交流において朝鮮半島と倭国・倭人・ヤマトをむすぶ交通の要衝であった。